アロング・ザ・アーカイバル・グレイン 4 農業政策の失敗 4.3 Labor’s Shortages
4.3
Labor’s Shortages
農業と食糧生産を増強するための取り組みは、最終的に1944年の干ばつ、害虫被害、労働力不足によって失敗に終わりました。さらに、ジャワの農民や若者たちは、防空壕や地下壕、道路の整備など大規模なインフラプロジェクトをはじめ、様々な産業分野での強制労働を強いられました。多くの労働者が、衛生状態の悪さ、深刻な病気、飢餓、そして死によって帰ってくることができなかった、農地は放棄されることとなりました(Kurosawa 1993:23)。
参照:
倉沢愛子。1993。Mobilisasi dan kontrol(動員とコントロール):1942-1945年 ジャワの農村社会における社会変化に関する研究。ジャカルタ:カルティ・サラナ財団とGramedia Widiasarana Indonesia出版社
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I. 水牛による耕運競争
水牛は 「tuan gemuk(肥満さん)」 として繁殖され、農業生産を発展に役立つ存在として大々的に宣伝されましたが、現実は矛盾していました。日本政府が複数の地域で週に2頭の牛の引き渡しを求めた結果、水牛や牛の個体数は大幅に減少してしまったのです (Shu)。これは1家族ごとに1頭の牛しか世話できなかったためです。
LOMBA MEMBAJAK_db 1945 ed 12.pdf
II.「ロムーシャ」を通じた労働者の動員プロパガンダ
「ロムーシャは独立心をもって喜んで働いた」という表紙タイトルが、1944年のジャワ・バル第19号に掲載されていた。
Cover romusha bekerja ed 19 1944.pdf
“「市民は母国を守った」という記事は、日本政府によって結成された若いインドネシア軍部隊である兵補(へいほ)についてのものです。出典:ジャワ・バル2604年第14号。
Heiho menjadi pasukan udara perang_Ed 14 tahun 2604.pdf
インドネシアの労働者の健康増進を促すためのビタミンに関する広告。出典:ジャワバル第14号2604年(1944年)。
iklan vitamin untuk menjaga kesehatan_DB 14_1944.pdf
隣組を通じた労働訓練の宣伝広告。出典:ジャワバル第9号2604年(1944年)。
keperluan pelajaran pabrik_DB 9 1944.pdf
青年団マーチ。出典:ジャワバル第12号2604年(1944年)。
Mars Seinendan_DB 12 tahun 1944.pdf
「スカルノ氏が前線で立ち上がり自発的に働いた」と題されたロムーシャに関する宣伝広告。出典:ジャワバル第19号2604年(1944年)。
romusha_bekerja sukarela_ed 19 tahun 1944 (2604).pdf
「ジャワを守るための訓練」と題された記事で、ジャワ人が軍の兵士になるよう様々な訓練を受け配置されたことが書かれています。出典:ジャワバル第19号2604年(1944年)。
latihan membela jawa_Ed 9 1944.pdf